——より良い製品づくりを目指して——
弊社は昭和23年の創業以来すでに70年以上に及ぶ歴史を有しております。
この間、お客様から寄せられたニーズは時代と共に多様化し、ますます高度なものへと変化して参りましたが、当社ではそのご要望を第一に、全力をあげて製品開発に取り組み、技術の向上を目指し、従業員一人ひとりが、たゆまぬ努力を重ねて参りました。
お蔭様で今日、当社製品は、多くのお客様より高い評価を受けており、これもひとえに関係各位のご支援の賜と厚くお礼申し上げます。
当社は創業以来、主としてスチールの薄鋼板を加工し、ロッカー、書庫などの箱物板金製品や、レジ台、包装台、バーゲンテーブルなど、店舗用什器の製造を手掛けて参りました。
生産工場では、原材料から完成品までの一貫生産体制を整備し、量産品から 小ロット品まで、品質、納期、コストパフォーマンスを徹底追求しながら、多様なニーズにお応えしております。
また近年では、スチール製品の製造だけにとどまらず、オフィス家具の販売、 木製造作家具、ステンレス製品の取り扱いなど、業態を拡張して皆様にご愛顧 いただいております。
長年にわたり築き上げてきた「技術のナカゴメ」としての信頼と実績。
そして、いつも若々しい集団でありたいと願う情熱とひた向きさ。
「チャレンジ」——これが私たちナカゴメの合言葉です。
なにとぞ、今後とも変わらぬご支援、ご鞭撻を賜りますようお願い申し上げます。
代表取締役社長 日向亮司
経営理念
社訓
当社は「誠意、創意、熱意」の三意主義を信条とし、「モノづくり」を通じて、真に社会に貢献できる企業を目指しています。
社員一人ひとりが最大限の能力を発揮し、経済環境の変化に柔軟に適応する組織を作り、お客様の多様なニーズに適切に応えていくことで、社会の幸福・発展に貢献していくことを経営理念としています。
ロゴマーク
中込製作所の「N」をスチールで折り曲げた形をデザインしています。
CSR活動
CSRへの取り組み
当社では、真に社会に貢献できる企業を目指すとした経営理念に基づき、年々高まりつつある中小企業へのCSRへの期待に応えるべく、「CSR方針」を定め、「倫理的行動規範」を作成し、全従業員がその意義・重要性を理解し、積極的に活動を展開出来るよう、取り組みを始めました。
活動を始めるにあたり、大切にしたのは活動の継続性、つまり本業との整合性です。限られた経営資源の中で、新らたな活動を行なおうとする場合、様々な制約によりいつの間にか頓挫してしまうことが、往々にして起こりがちです。 まずは、現在継続的に行われている様々な活動の中に、このCSRの方針を浸透させ、活動の継続性を確保すると共に、本業との整合性を高めていきたいと考えています。
1月20日、第1回目の会合を開催し、活動の推進母体となる委員会の発足と、活動の基本となる「CSR方針」と「倫理的行動規範」が定められ、その方向性を明確にしました
この活動により、企業が社会の公器である事を、あらためて認識するとともに、厳しい経営環境にある今こそ、この活動を充実したものに成長させる重要性を全員で確認し、スタートさせました。
2010.1.20 代表取締役社長 日向 亮司
CSR方針
1. 基本理念
当社は、経営理念に基づいた企業活動を通じて、企業の社会的責任(Corporate Social Responsibility)を果たし、地域社会に貢献していきます。
2. 社会的使命
当社は「ものづくり」を通じ、社会が必要とする製品・サービスを提供していきます。
3. 社会的責任
当社は、顧客、従業員、取引先、株主など、当社を取り巻くステークホルダーとの良好な関係を維持しつつ、地域社会と共に発展し続ける企業を目指します。
倫理的行動規範
当社は、法令やルールを厳格に遵守し、公正で誠実な企業活動を遂行していきます。以下の行動規範を、全従業員が遵守することを、ここに宣言します。
1. 誠実な企業活動
① お客様の立場に立った製品・サービスの提供
② 公正・透明・自由な企業活動
③ 企業秘密の管理
④ 会社資産の保護
⑤ 会社の利益に反する個人行為の禁止
2. 環境との調和
⑥ 地球環境の保全
3. 人間尊重
⑦ 基本的人格の尊重
4. 地域社会への貢献】
⑧ 社会貢献活動の実践
品質方針
真にお客様の満足いただける製品作りを目指そう!
1. 技術向上
自ら学ぶ姿勢を持ち、工夫と改善で技術向上を目指そう。
2. 納期対応
仕事は正確に迅速に。決められた時間・納期は必ず守ろう。
3. コスト低減
日常に潜むムリやムダを省き効率の高い生産体制を築こう。
環境方針
基本理念
当社は「モノづくり」を通じて「真に社会に貢献できる企業」を目指しています。人と自然との共生をめざした豊かな未来を創造するために、地球環境の保全及び継続的改善が経営上の重要課題であるとの認識に立ち、環境と調和した事業活動を行い、環境保全活動を推進してまいります。
環境方針
- 当社が行う全ての事業活動において環境マネジメントシステムを構築し、環境負荷を低減する環境保全活動を推進します。
- この環境方針を社員及び協力会社に周知すると共に、環境意識の向上に努め、汚染予防と環境マネジメントシステムの継続的改善を図ります。
- 環境関連の法規・条例・協定及び当社が同意するその他の要求事項を遵守します。
- 環境方針を実行するために、環境目的及び目標を設定し、あらゆる状況の変化に対応するため、環境マネジメントの見直しを継続的に行います。
次の項目を重点事項として取り組みます。
①計画的な環境教育の推進
②製品における環境負荷軽減
③有害化学物質使用量の削減 - 環境方針は社外に公開します。
会社概要
商号 株式会社 中込製作所
創業 昭和23年1月17日(中込板金工業所)
設立 昭和25年4月15日(中込板金工業有限会社)
改組 昭和34年8月11日(株式会社中込製作所)
所在地 横浜市金沢区福浦2丁目7番21号
代表者 取締役社長 日向亮司
資本金 9,800万円
社員数 70名
売上高 24億1,197万円(令和5年7月1日~令和6年6月30日)
主要取引銀行
横浜銀行磯子支店
かながわ信用金庫磯子支店
商工組合中央金庫横浜西口支店
事業内容
スチール家具の製造・販売
機械加工・板金加工・金属塗装
オフィス家具の販売・施工
木製造作家具の製造・施工
内装仕上工事の設計・施工
許認可
建設業者登録
許可番号:神奈川県知事許可(般-4)第21477 号
建設業の種類:内装仕上工事業
取扱い品目
スチール製品
店舗用什器
オフィス家具
オフィスプランニング
木製造作家具
オーダーメイド家具
会社沿革
旧丸山本社工場
工場内 作業風景
創業者 中込宗次社長(中央)
昭和34年8月改組レセプションにて
社員スナップ写真
創業の頃
昭和57年7月
新工場竣工
平成28年2月
塗装設備改修
1948年 |
1月
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中込宗次、米軍向けフットロッカーの組み立てを開始し、創業 |
1950年 |
4月
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横浜市磯子区丸山町に中込板金工業(有)を設立 |
1959年 |
8月
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(株)中込製作所に商号変更 |
1962年 |
5月
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日本で初めてロッカーJIS 表示許可工場の指定を受ける |
1967年 |
12月
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スチール家具の一貫生産体系を構築 |
1968年 |
11月
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神奈川県知事より優良企業として表彰を受ける |
1969年 |
3月
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横浜市長より優良企業として表彰を受ける |
11月
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中小企業庁長官より優良企業として表彰を受ける | |
1973年 |
4月
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ストア製品の生産開始 |
1976年 |
2月
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スクール、オフィス家具の販売開始 |
6月
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建設業許可取得 | |
1978年 |
8月
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横浜市金沢区に新工場建設開始 |
1982年 |
7月
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新工場竣工、操業を開始、TQC 運動開始 |
11月
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横浜南税務署より優良申告法人としての表敬を受ける | |
1984年 |
7月
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プレスブレーキを全機NC 化 |
1989年 |
6月
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資本金を9,800 万円に増資 |
9月
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工場を増改築 | |
1991年 |
7月
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5S 運動開始 |
8月
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自動静電塗装装置を導入 | |
1996年 |
4月
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木製造作家具の取扱いを本格化 |
1997年 |
7月
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レーザー加工機、溶接ロボットを導入 |
1998年 |
3月
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マーズ(材料自動倉庫)、TBZ(自動曲げ加工機)を導入 |
1999年 |
1月
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ISO 9002 認証取得 |
2003年 |
8月
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ターレットパンチプレス(ビプロス358)を導入 |
2006年 |
9月
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新生産管理システムの導入 |
2009年 |
2月
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ステンレス製品の取扱い開始 |
2010年 |
2月
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横浜型地域貢献企業に認定される |
2011年 |
1月
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パンチレーザー複合加工機EMLを導入 |
2012年 |
1月
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神奈川県優良工場の表彰を受ける |
2014年 |
6月
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パンチレーザー複合機C1を導入 |
2014年 |
6月
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事務所リニューアル |
2014年 |
7月
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活力朝礼開始 |
2016年 |
2月
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塗装設備を全面改修 |
2016年 |
5月
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パネルベンダー サルバニーニ P4L-2116を導入 |
2018年 |
6月
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ファイバーレーザー複合機 ACIES 2512T-AJを導入 |
2019年 |
6月
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ファイバーレーザー複合機 EML2512AJを導入 |
2020年 |
6月
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パネルベンダー KMP25L-FT/RTを導入 |
2021年 |
5月
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工場隣接敷地253.3㎡を取得 |
2022年 |
5月
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食堂リニューアル |
会社組織
我が社の歩み
令和2年4月15日、当社は会社設立70周年の節目を迎えました。
創業当時の事を語る人とて少なくなりましたが、幸いにも当時のことを記録した文章が残されています。昭和55年5月、当時の中込幸一専務(のちの社長、平成6年死去)が、創立30周年記念式典のために書かれた文章です。中込製作所の70年を支えてこられた数多くの先人達に思いを馳せると共に、次世代に会社の歩みを正しく伝えていくために、文章をここに掲載致します。
リュックサックを背負って
部品を買い付けに出掛けた創業の頃
薫風の五月、ここに創立三十周年記念式典を挙行できることを、全社員ならびに多忙のところを御参集いただきました外注各社のみなさまに対し心から感謝を申し上げる次第です。
社長が病気療養中でもあり、その全快を待って式典を挙行したく思っておりましたが、療養が長引きそうでありましたので、社長と相談の上、かくも質素に本日ここにその節をお祝いすることとなりました。
わが社は昭和二十三年、今から三十二年前に社長が米軍向けジュラルミン製トランクの組立をしたのが始まりです。当時は戦争直後のため、家族四人を山梨に疎開させたままで横浜は磯子の禅馬で工場を操業していました。朝食には黒パンをほおばり、リュックサックを背負って桜木町から一番の京浜東北線に乗り東京の立石にある愛国工業からトランクの部品の支給を受け、その日のうちに残業をし組み立てて納めていました。当時の社名は合資会社中込銅工所でした。
その後、岡村中学校脇にあった岡村製作所の工場に社内外注として入り、スチール家具の試作を受け持つようになりました。当時は今のような磨き鋼板がありませんでしたので黒皮鋼板の歪み取りから始め試作品を作っていました。
昭和二十五年に、今の機械工場のある所を岡村製作所の吉原社長の口利きで千田己代造氏から借り受け、同年四月十五日に中込鈑金工業有限会社を設立しました。その時から満三十年を迎えることになります。長くもあり、短くもあり感無量であります。
保土ヶ谷にロッカー専門工場を作り、
社員数も二百名を超えた
会社設立後しばらくは朝鮮動乱の活況で繁忙でしたが、続く不況期は大きな苦しみの時期となります。材料を買う金が無くて、今も中浜町にある浜野歯科医院や斎藤たね店に、妻きみ江(母親)を借金の無心に走らせたりしました。社員には長期の遅配をし、大半の社員は給料がもらえず生活ができないため、一人辞め、二人辞めと、ほとんどが退職するなど大変な時期もありました。
三十年の歳月の中には喜びも苦しみも悲しみもありましたが、強く頭に残るのは苦しみと悲しみのことばかりです。昭和三十五年十月には保土ヶ谷工場に書庫ロッカー月産四千本の専門工場をつくり、昭和三十七年にはJIS表示許可も取得し、社員数も二百名を超えました。
しかし昭和三十八年にはお得意様との直販問題で受注を完全にストップされ、やむなく設備を現在の東芝住宅工業に売却し、一部の社員にはそのまま東芝住宅工業に移籍をお願いしました。
昭和三十九年七月には、東芝住宅工業に売却した設備機械が全然稼働しないので中込で戸塚工場を新設して動かしてくれと佐野鋼材(今のリバースチール)の新井社長から頼まれました。
受注ゼロ、社員数名から始まって三年間で売上月間二千万円、社員数四十八名まで持っていくことができました。しかしようやく利益が出始めたときに、浜工業の倒産やその立て直しなどの問題が発生し、互恵企業協同組合の決定事項として三社対等合併があり、またまた営業権がゼロで、設備と四十八名の社員を移してしまうことになります。
このように再三にわたる工場の新設、移設などにより、また四十年不況なども重なり、昭和四十一年六月期には急激な売上ダウンで帳面づら三千四百万円の赤字を抱え、支手の決済が出来ないような局面を迎えました。 当時は毎月二十日になると不二ベニヤの三井社長や天野クリーニングの天野氏の所に決済の不足資金を無心に行き助けてもらいました。この方々はわが社を救ってくれた恩人であります。
互恵グループより脱却し、
自主独立経営の道を選択
昭和四十三年から四十七年は再建の時代でした。私も昭和四十一年十月に浜工業から中込製作所に戻って再建に必死で取り組みました。
昭和四十四年十一月十日、またまた佐野鋼材、新井社長より三億円の設備投資をして、薄板スリッター工場を中込で動かしてくれないかと言われました。これを引き受けるか、もしくは互恵企業協同組合のグループから脱却するか、二つにひとつの返事を迫られました。
結論は組合脱却を選択し、そのとき中込は独立宣言をしました。これが小さくても自主独立、独立独歩、独立自尊を決心した経緯です。
その後は順調に利益も確保でき、中小企業長官賞などの栄誉も受けることができました。本社工場の土地も昭和四十五年十一月と昭和四十七年二月に二回に分けてわが社の所有になり、金沢三号地移転の足掛かりになると考えております。資本金も創立二十周年と二十五周年に全社員に記念分配を行うなどして、昭和五十年に現在の五千五百万円にしております。 しかし、好いときは長くはないもので、昭和四十九年には第一次オイルショックにより受注が落ちこみ、仕事が激減しました。
蘇生術を開始し、中古品の再生を手がけたのもこの時期です。新製品開発をしようという決意で、真似でも良いから能率デスクを商品化して売ろう、バーゲンテーブルを開発してストアに新規参入しようと変わり身の早さで勝負してきました。こうして何とかこの時期も切り抜けてきました。しかし、昭和五十三年に久木製作所の倒産。わが社で取引していた業者からの兵糧攻めにあい、これらの倒産の解決、同族骨肉の争い、わが社の社員の引き抜き問題などあり、すべてを解決するのに昭和五十五年四月までかかりました。長期にわたる受難の時期となりました。これらの心労により社長もすっかり身体をこわしてしまいました。
金沢工業団地進出を目前にして
次なる五十周年へ決意あらたに
過去三十年には工場を開始するにあたって機械まで貸与して下さった吉原社長をはじめ沢山の人達にお世話になりました。
途中で退職された人、立派に職責を全うされ定年退職された人、又あらゆる面で指導下さった人、お金を貸してくれた人。様々な人に限りない恩を受け、今日の中込製作所があることを素直に受けとめ、全社員と共に心底から感謝の気持ちで応えて「この節から芽を出し」次の工場建設を受注拡大に結び付けていきたいと決意する次第です。
社長は「人の一生は三十歳から四十歳までで決まる」と私に教えてくれました。わが社を人の一生に合わせて考えると、これからの十年が重要な時期になるわけです。重要な時期を迎えるにあたって遅ればせながら、わが社の《社是》をこの創立三十周年を契機に制定致します。
一、独立自尊
一、創意工夫
一、質素節約
一、感謝
一、利益確保
であります。我々一人一人の力は微々たるものです。縁あって同じ会社で共に働いている全社員と共に「みんなで働き、みんなで良くし、みんなで良くなろう」ではありませんか。
今日は苦節三十年のひとつの節目であり「竹も節があるからなかなか折れない」という教訓どおり、この節をひとつの区切りとしてまた次の三十五年、四十年そして五十周年の記念日が無事迎えられるよう、みんなで頑張ろうではありませんか。
最後に社長の病気が早く良くなるよう全社員で祈念し、私の挨拶といたします。
昭和55年5月
中込 幸一専務(当時)
~創立30周年記念式典での挨拶より~